活彩あおもり大祭典 出陣ねぶた
 
十和田湖の伝説より
「 八之太郎と南祖坊 」

 昔、秋田の鹿角に、八之太郎[はちのたろう]という若者が住んでいた。 ある時、奥入瀬[おいらせ]へ山仕事に出かけ、そこで捕らえた岩魚[いわな]三匹を食べたところ、どうしたことかのどが焼け付くように渇いてしまった。 谷川の水をいくら飲んでもおさまらず、気づいた時にはその身が大蛇[だいじゃ]となってしまっていた。 それでは村に帰ることもできず、川の流れを堰止[せきと]め湖をつくり、その主となって湖水に身を沈めたのであった。 その湖こそ、十和田湖である。 それから百年ほどたった頃、南祖坊[なんそぼう]という僧が、紀州熊野権現[きしゅうくまのごんげん]参籠[さんろう]中、その夢枕に老僧が現れ、「鉄のわらじをはき、山々、峰々[みねみね]をめぐり、その鼻緒[はなお]が切れたところを永住の地とせよ」と告げた。 霊夢に従い、諸国修行に出た南祖坊がやがて十和田湖畔まで来たところ、ふいに鼻緒が切れた。 この美しい湖を永住の地とすべく、行に没頭した南祖坊に、八之太郎が戦いを[いど]んできた。 天地も割れんばかりの激闘が続いたが、勝敗が決しない。 そこで南祖坊は法華経[ほけきょう]を取り出し頭上になびかせると、経文の一字一字がすべて矢となり、八之太郎に突き刺さった。 かくして勝利をおさめた南祖坊は、十和田湖の主となり、逃れた八之太郎は、その後秋田に大湖をつくり棲みついた。 これが八郎潟[はちろうがた]であるという。

 昭和十一年、国立公園に指定された名勝十和田湖は、二重カルデラ湖であり、四季折々に表情を変える日本有数の景勝地である。 湖畔にたたずむ「乙女[おとめ]の像」(高村光太郎作)の裏手には、杉小立に囲まれた十和田神社があり、南祖坊伝説にちなんで、大小のわらじが奉納されている。

解説/竹浪 魁龍