平成二十二年度 出陣ねぶた
 
阿倍比羅夫[あべのひらふ] 津軽深浦に立つ 」

 『日本書紀』によると七世紀後半、越国[こしのくに](現在の石川から新潟あたり)の国司であった阿倍比羅夫が、一八〇〜二〇〇隻の水軍を率いて、数回にわたり日本海側の地域を北征したとの記述がある。

 齶田[あぎた](秋田)、渟代[ぬしろ](能代)、さらに津軽方面を平定し、これらの地方に中央政府の根拠地を確保した比羅夫は、有間浜[ありまはま]渡島[わたりしま]の蝦夷らを召集して大饗したという。

 西津軽郡深浦町には、東川[あずまがわ]の河口“吾妻浜[あずまはま]”こそ、このときの有間浜であるという伝説が残っている。

 風が風を呼び、波は岩礁[いわ][たた]いて砕け散る。天翔ける龍王の守護の下、津軽深浦・有間浜に立つ阿倍比羅夫の勇姿である。

解説/竹浪 比呂央