平成七年度 出陣ねぶた
 
「 奥羽大乱 善知鳥崎の兼任 」

 平安末期。文治五年(一一八九年)九月、奥羽藤原氏が滅亡し、源頼朝による新しい東北支配が始まった。

 この年の十二月、藤原泰衝[やすひら]の郎従大河兼任[おおかわかねとう]は頼朝の東北政策に従おうとしない北奥の武士七千余騎を集めて大反乱を起こしたのである。 兼任軍は、出羽から津軽にかけて鎌倉御家人を討ち取り破竹の如く進軍を続けていった。

 しかし、翌年二月頼朝精鋭の追討軍の総攻撃を受け、有多宇末井[うとうまい][かけはし](現青森市浅虫と久栗坂の間、善知鳥崎[うとうまい])に追い詰められ滅亡してしまった。

 北方民族の生活圏、文化圏を守る可く、善知鳥崎にて最後の奮戦をする大河次郎兼任、その勇士に郷土の豊かな発展を祈り願うものである。

 *善知鳥崎 … 青森市の浅虫と久栗坂の間にある善知鳥崎は、鎌倉の古戦場とされている。ウトウの名はアイヌ語の「出崎」による説が有力。
明治9年、明治天皇巡幸の際に道路トンネルができるまで、梯で通るしかなかった交通の難所であった。いまは、海岸を埋め立てて新設したバイパス国道が旧鉄道の善知鳥トンネルを使って走っている。
解説/竹浪 魁龍